さらにこちらでは
ではなぜ、大学生はそんなに怯えているのか。外的な要因と内的な要因が考えられる。外的な要因としては:
1. 生まれた時から不景気で、周りに「やりたいようにやって社会的に成功した」モデルがいない
2. 子供の頃から「ゆとり」と揶揄され続けている
3. 就職氷河期。新卒採用を逃したら人生終わり、と脅されている
4. 可視化された同調圧力
などが思いつく。1~3は自明と思われるので、4について。ここ最近のテレビ番組で僕がとにかく気になるのが「ワイプ」の乱用である。画面端の矢口真里が、「ここは笑うところですよ」「ここは泣くところですよ」「これはスベってますよ」とシグナルしてくる、あれが非常に邪魔臭い。「あなたはどう感じるべきか」を規定しようとするような、すごく不気味な同調圧力を感じる。そもそも同調圧力には定評のある日本社会である。その上テレビという娯楽においてすら、「この人と同じように感じなさい」というメッセージにどっぷり浸けられてきた世代。彼らが、自分がどう感じたのか、どう考えるのかを述べるのが怖いのは無理もない事に思える。
つまり今の日本の社会というのは、一貫して「いまどきの大学生」が自分の思うところを自信を持って述べることを阻害している、と言える。それでいて彼らは「なんでバカなの?」ってバカにされるんだから、まあひどい話だ。これは非常に深刻な環境的ハンディキャップであり、上の世代が「俺達がお前らの年の時はできたぞ」と言うのはアンフェアすぎる。「俺達ができた」のは、俺達がいまどきの大学生がしていなかった特別な努力をしてきたからではない。環境がそれをすることを許していただけに過ぎない。
「・・・」
最近アル・パチーノがやたらかっこよくて、『セント・オブ・ウーマン』を見た。退学にするぞと脅されながら、クラスメイトに不利な証言をすることを拒んだ高校生チャーリーについて、パチーノ扮するスレイド中佐は、全校生徒を集めた裁判の場でこんなことを言う:
「私の人生にはいくつもの岐路があった。私はいつでも、どちらが正しい道なのか分かっていた。でもその正しい道は選ばなかった。なぜか?「正しい道」はあまりに困難な道だったからだ。ここにいるチャーリーも人生の岐路に立った。そして、彼は正しい道を選んだ。彼にこの旅を続けさせてやれ。彼の未来を守れ。」
困難な道を選ぼうとする若者の未来を守ろうとする時、我々もまた困難な選択を迫られる。今若者が怯えているのは、我々がその困難な選択において、楽な方を選び続けてきたからではないだろうか。
前に書いたかもしれないけど、同僚が言ってた「矢口真里はジャスコのフードコートにいるタイプの美人」という評はかなり俺的に納得できた。
